例えばコードからの遠ざかり、リズムへの反逆。というこうしたそこに象徴的生命を感じ取り聴衆がそこに閉じ込められると感じられるほど、我々は外部に近づけられる。
そうした作品との隔たりはプレイヤーとの隔たりでもあり、さらに自身の中心へと連れ戻すという秘められるはずの運動でもある。
その動きやまぬ隔たりこそ生命を持ちながらまただからこそ空虚でもあるということ。いわば象徴がおのれとともに持ち運べる隔たりこそを体験するという作業だ。
超えられはし得ないが超えられなければならない隔離状態への体験。
ジャズを簡単に芸術と呼び、したり顔のプレイヤーがやってることが、アメリカでのビジネスでしかないということ。
ジャズファンがコレクション自慢で終わるのも無理はない。あまりに怠惰で甘えだ。