表面的な次元で音楽を語るのは、どの音楽家についてもだけど、たいてい意味がない。
フランソワの音は弾いた瞬間だけが彼のものであって、弾き終わったら聴き手のものになる。
聴く人間は「拝聴する」ということはできない。そんな余裕はない。
感情移入とよく似た思いをもって、彼の音を「体内に迎える」。
だから、ここで語ることは音楽の一般論とはほど遠いけどそれでいいんです。
フランソワはそういったことを望んでいる。
いつも聴き手とその場の空気を共有することを望んできた演奏家です。
「批評意識は虚勢するものです!」とフランソワ自身がいっているんだから。