彼が一流オケの常任だったのはメンゲルベルクといたACO時代だけ。
PSOも一流とはいえなかったし、BSOもSFSOもLSOも
着任当時は二流か崩壊寸前だったのを何とか立て直したという所だ。
パリやボストンでは冷や飯待遇で、それ故当時二流職と見られたバレエ団に出向した。
おそらく若い時代は相当トンガった人物で、周囲と合わなかったんじゃないかな。
そんな彼を温かく受け容れたのがディアギレフだったのだろう。
サンフランシスコでの20年間は欧米の楽壇で忘れられた存在だった。
仇敵クーセヴィツキーの退任でミュンシュが彼をボストンに呼び戻したことで「再発見」された後、
サンフランシスコを離れて世界を回ったのは、生涯最後の10年ほどだ。
彼の肩書き上の経歴は案外ショボいよ。