藝大作曲科にトップの成績で入学しながら、いわゆる現代音楽になじめず、
卒業後再入学して指揮者に転向したわけだからな
二度目の藝大卒業の時点でコンクール優勝を後輩の小泉和裕にかっさらわれ、
副指揮者として入団した東響の音楽監督は同い年の秋山和慶
そんな状況で生き残るために、レパートリーを拡げず、超個性的な演奏にして
独特のパフォーマンスも含め、伝説を自ら作るという無理を続けてきたように
見えて仕方ないんだよね