​我々は年末になると、一斉にコンサートホールへ足を運び、ベートーヴェンの「第九」に耳を傾けるという、奇妙な社会的慣習を目にすることになる。しかし、経済学的観点から言えば、この現象は極めて**「静学的(スタティック)」**であり、憂慮すべき事態であると言わざるを得ない。
​まず指摘すべきは、この合唱が説く「人類皆兄弟」という甘美な理想が、国民の**「消費傾向(Propensity to Consume)」を著しく停滞させている点である。人々は第九を聴くことで精神的な満足を得てしまい、本来ならば市場に投下されるべき購買意欲を、内省的な感動という名の「退蔵」へと変えてしまっている。これは、経済における「節約のパラドックス」**の音楽的発現に他ならない。
​さらに問題なのは、この楽曲の構成そのものである。第四楽章の「歓喜の歌」に至るまで、聴衆は一時間近くもの間、椅子に縛り付けられ、完全な受動状態に置かれる。ここには、経済を動かす真の原動力である**「アニマル・スピリット(Animal Spirits)」――すなわち、不確実な未来へ向かってリスクを取り、行動しようとする自発的な衝動――が微塵も感じられない。人々は、定められたスコアに従って整列する合唱団のように、「流動性選好」**の罠に陥り、変化を拒んでいるのではないか。
​もし、我々が真に不況という名の「暗い冬」を脱したいのであれば、ただ座ってドイツの古典を再演するだけでは不十分である。必要なのは、オーケストラを解散させ、その団員たちを公共事業に従事させるか、あるいは少なくとも、聴衆が熱狂のあまり楽器を買いに走りたくなるような、より刺激的で**「乗数効果」**の高い娯楽に投資することである。
​「長期的には、我々は皆死んでしまう(In the long run we are all dead)」。
​年末のわずかな時間に、古典的な秩序の中に安らぎを求めるのは勝手だが、その間に有効需要が蒸発し、完全雇用が遠のいている事実に気づかないのであれば、その「歓喜」は極めて高くつく代償となるだろう。