プリ・スロン・プリ改めて聴いて思ったんですけど、マルトーにしても弦楽の本にしても、ブーレーズの技法はゲンダイオンガクの基本的イディオムとして
とっくの昔に研究し尽くされ模倣され尽くされていたんですね。
こういう音の配置はサスペンスドラマのBGMで聴いたわ、というのは明らかに本末転倒なんだけど、後世の聴き手にとっては歴史はすべてフラットに
並んでいるので、どっちが元祖かは割とどうでもいい話なのかと。

もちろんオリジナルには模倣品にはない輝きがある、という主張はありだと思うしそれは聴く人の自由。
でもブーレーズ自身は自分の音楽か模倣され埋もれていく運命にあるとわかっていたから、進行形のまま
いつまでも完成させないことにこだわったのだと
思いました。
ライブエレクトロニクスを活用したピースも今聴いたら古びてしまっているのかしら。名人芸の価値は色褪せないと思いたいのだけど。