>>136
G−LZ◆H6mBY5rVQU:2016/10/31(月)23:16:07 ID:LxT
>>138
その後今まで、「AMADEUSサウンドトラック盤CD3枚組」を聴いていたのだが………
モーツァルトが如何に精妙な耳を持った男であったか、それを改めて思い知らされた。サウンドトラックなのだから次から次へと曲想の異なる音楽が飛び込んで来るのだが、此方の耳はその精妙さに酔っていればよい、そんな按配なのである。
2枚目の終わり近く、サリエーリ作だという音楽が鳴るのであるが、此処で酔いは一気に覚める。
続くK.466 1楽章の序奏が始まるや、これはもうただならぬ音楽が始まったと身が震えるのだ。前の曲はもう茶番である。
10年前のオペラシティ最前列ややヴィオラ寄りで聴いたあの感動が蘇る。
ベートーヴェンは前頭葉に訴える音楽だと私は思っているのだが、モーツァルトはどうも意識の内奥にある『何か』に達する、ちょうど瞑想している時の、我であって我を超えた何かと一体になっている状態とでも言えばよいか、其所へと私を導く。
曲想がどう変わろうと、耳は精妙な音の数知れぬ綾に酔いながらも、心は何処とも知れぬ、10月の立山室堂で見た紺碧を通り越し、緑を帯びた空の彼方へと連れて行かれるのだ。
こんな音楽を書いた男は、彼の前にも後にもいやしない。