>>278

「(略)これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」(小林秀雄)

の文章に接した時、私の考えを一言で言い当てられた驚きを今でも鮮明に憶えている。もう40年も前のことである。

「音を語るのは音以外に無い」、このボードレールの述懐はモーツァルトに於いてその頂点に達する。言葉はついて行けぬ。観念なり感情なりは言葉と親しいからである。
モーツァルトが何故この様な音楽を書けたかと言えば、彼の鋭敏な耳が其れを求めた、そう言う他はない。同じ道を行く限り、「精神で音を聴いている」ベートーヴェンは敵わぬ、彼はそう覚っている。
主題と特定の観念なり感情なりとの融合、ベートーヴェン ピアノソナタ悲愴2楽章/月光1楽章を弾けば、これはもうモーツァルトとは異質な音楽であると誰でも感じるはずだ。
どんなに激しい曲であろうと、ベートーヴェンの音楽は人の心に寄り添う優しさがある。
そして遂には、彼の音楽は後期弦楽四重奏曲に行き着く。鋭敏な耳が行き着いた音楽が「魔笛」「クラリネット協奏曲2楽章」であった様に、精神で音を聴いている耳が行き着いた、其れは音楽だと言ってよい。

いちいち出典を書かないと判別不能のようですね。

(小林秀雄)と書いた所までが引用文

の文章に接したとき、以下が私の文章。

あなた日頃、本読んでます?

「ゆとり世代」なら仕方ないか?