>>346

そのように、何かにつけて「アンチ」とカテゴライズすることこそ、反知性主義の徴表だ。

ヴィルトゥオーゾの話が出たから言及すると、ポリーニに対し、彼を唯一無二の存在足らしめていたところの、
求道者とか探求者のイメージを投影している人が多い、ということだろう。
そういう人々は、彼を好きだからこそ、晩節を汚して欲しくない、と望んでいるのであり、それはそれで1つの考え方として認めなければならない。

なお、クラシック音楽家も大衆音楽家としての側面を払拭できない。
だから、一般論としては、君の言うように、本人が希望し、かつ、彼の演奏を聴きたい人々の数が商業的に見合うほどに存在するならば、
コンサートを開くことに社会的意味はあると思うよ。
しかし、その点に対し、Kajimotoのどんぶり勘定的なドル箱依存を看取してしまうから、個人的には白けるのだな。

個人的には、今回が最後の参加だろう。
体力的な見地からベートーヴェンを回避したことで、気持ちの区切りが付いた。
まあ、印象派のゆったりした叙情的な曲とか、大バッハの一部の曲とかならば、まだやれるかもしれないね。