京都市交響楽団のマーラーの第七は、評価の低い曲だけに、指揮者の広上もちゃんと理解してふったとは思わない。
元々意図の分からない曲だから、あれだけレベルの高い演奏は無いに等しい。
駄作と決めつけるとまたどこかのお兄さんが四の五の難癖をつけて来るかも知れないが、
第五楽章で聴衆が盛り上がっていたと言うことが、この曲が最初の二つの楽章が特に支離滅裂で分からない理由になるとおもう。
後期浪漫派から無調への受け渡し的な意味はあるんだろうけど、
最後の二つの楽章が平易というか安易というかそういう所が評価の低い理由かなと思った。
京響も広上の意図を見事に体現はしていて、名演奏と言っても差し支えないのだが、
明晰な分析は誰だってできないだろうと思うし、指揮者も逡巡する部分もあって当たり前だろう。
ともあれ、この曲の記念碑的名演が実現した。