ベームは金と地位にしか興味が無い俗物だった
ベームといえばギャラが高い事でも有名だ。チェリビダッケはそうしたベームの姿勢をあからさまに批判している。
しかし、私は芸術家というものは人間がどうであろうと、素晴らしい感動を与えてくれれば、何の問題もないと考えている。
実際、モーツァルトやベートーヴェン、ワーグナーやブルックナーらも人間性はさ程高く評価されていないし、金への執着心はあった。
聖人君子ではないし、ボランティアや素人芸術家ではないのだから、自らの業績に対し、
何らかの報酬を求める事は寧ろ当然ではないだろうか。
特にベームにはカラヤンというこれまた稼ぎまくるライヴァルがいたから、対抗意識もあったであろう。
そういえば、ベームの師匠であるR・シュトラウスもアルマ・マーラーの自伝で”守銭奴”とこきおろされている。
若しかするとベームの金銭への執着は師匠譲りなのかも知れない。或いは戦前から戦後にかけて、極貧生活を経験した為、
二度とあんな思いはしたくないという気持ちがあったのかも知れない。
しかし、繰り返すがそうした要素はベームの評伝等には必要かも知れないが、演奏とは無関係である。
我々にしてみれば、素晴らしい演奏であれば、日常生活がどうであろうと一向に構わない。芸術家というものは、寧ろ公私の落差が激しい人種なのだ。

名誉職コレクター
ベームといえば、歌劇場総監督や常任指揮者等の音楽的実権を掌握する地位からは
二度目のウィーン国立歌劇場総監督辞任後は遠ざかっている。
その代わり、やたらと記念色の濃い実権のない名誉職やメダルを数多く授かっている。
その筆頭はオーストリア音楽総監督である。これは別にオーストリアの音楽行政を統括する様な権力は一切ない。
しかし、この肩書きは海外においては功を奏し、人間国宝的価値、或いはオーストリアの親善大使みたいな役割をはたした。
ベームが外来の指揮者としては初めて皇居を訪問する事が出来たのも、この飾り物の肩書きがものを言ったのである。