>>330
音楽を正確な音程で且つ確かな技術で聴かなくては意味がないと言う人はいるだろう。
私はアマチュアの音楽は余りにも拙すぎて聴くことを数年前に止めてしまった事を告白する。
私だって出来得るだけ正確な音程や解釈の演奏に接したいとは思う。
では朝比奈&大フィルが私にとって音楽ではなかったかと言うとそうではない。
それは私のクラシックの原点が「苦悩からの癒やし」であったことに依拠している。
父母からの虐待を受け、孤立無援で学校にも行かなくなった時期にふとした機会で朝比奈&大フィルの演奏を聴いて救われた。
耳でしか音楽が聴けない可哀想な人たちには朝比奈の音楽は騒音にしか聞こえないだろう。
しかし孤独の淵に立たされた思春期の私に朝比奈はとても暖かく微笑んでくれた様な気がした。
その後の人生にも原点で聴いた朝比奈の音楽が
好影響を齎してくれた。
コツコツやっても稚拙な音楽に価値がないと言う人たちには通じない屁理屈だろうが、
私が音楽という職に就かず、他の分野でコツコツと試行錯誤を続けた事は大いに朝比奈の音楽及び生き方に学ぶ所があった。
音楽と人格を区別して捉えると言う考え方も分からないではないが、
朝比奈&大フィルレベルであれば一部の人たちが難癖付けているほど聴けたもんじゃないレベルとは思わない。
当時の日本のプロオケのレベルで言えば、大フィルは中レベルぐらいだったと思っている。
在京でも大フィル以下のレベルのオケもあったし、朝比奈の音楽的才能の音楽家も結構いた。
何よりも朝比奈&大フィルが持てる力以上の演奏をしたと言う価値は大きい。
某公共放送オケなど最も技術は高くても本気の演奏すら滅多に聞かせて貰えない団体など私は関心が全く無い。