>>528
「朝比奈隆」スレであって、九響、広響、関フィル、スレでは無い
現代的視点では、半世紀も指揮者を務めたのに、基礎的トレーニングが出来ていなかった、事実を書いている

朝比奈隆には、基礎的音楽的能力が無かった
弾けると言える楽器も、1つも無かった

自書の自白という鉄壁の証拠が有るし、当時の主要楽員の音楽的レベルを推し量る録音も有る
オーケストラの演奏(の様な騒音)に関して、1つ1つの間違いを指摘するのは容易だが、苦痛で面倒くさい
音楽的素養が有る人なら、聴けば瞬時に激しい不快感に襲われる筈のものばかりだ

朝比奈隆には、
旋律、和声、拍節、が無い
西洋クラシック音楽の原則に反するから、非常に強い違和感が有る

習字で、
打込、止、跳、左払、右払
が出来なかった(無くても良いとしていた)事に相当する

「字を覚えて、何という文字は何画かが分かったから学問ができるというわけではない」
「音を聞き分けることは音楽の能力とは無関係」
なのだそうだから、文盲の書や小説、朗読、盲人の画家、みたいなもの

朝比奈隆には偉大な功績の数々が有る事も歴史的事実で、人柄故のものも有ったのでであろう、と推定できる
この事と、朝比奈隆の音楽的能力とを分けて考えられないか?としている