朝比奈を語るときに大フィルの存在を抜きには考えられない。
朝比奈は在京、その他の地方オケにも多く客演しているが、N響、新日フィル、都響などと比較して聴いてみると、際立って大フィルとのものが素晴らしい。
当たり前と言えば当たり前だが、朝比奈が大フィルを振るとその音楽性が素直に出て自然で分かりやすい。
例えば、技術力で勝るN響や都響がいくら朝比奈に追随しようとしても、大フィルの亜流の様な「物まねの音楽」になってしまい、わざとらしさが強調されていて楽しめない。
それはシカゴ響を振った場合にでも同様に言える事で、一瞬「大フィルかな?」と思うんだけれども、すぐ亜流と言う事がバレてしまう。
朝比奈の音楽を本当に理解できていたのは大フィルだけだと言って過言ではない。
真に朝比奈芸術を支えていたのは当時の大フィルただ一団体である事は、耳の良い聴衆なら一聴して判るのことである。