>>91
安田さんはソロコンマス(?)になる前はコンサートマスターではあったが、
外人コンマスの隣で弾いていた時期が長い。
従って比較的平易なソロでも、「外人」に任せておけば案外気は楽だった。
安田さんが第一コンマスになってからは、朝比奈さんも滅多にコンマスソロを伴う曲を演奏しなくなった。
ソロでは無かったが、安田さんの最大の仕事は、1975年の第一回ヨーロッパ公演を成功に導くことだった。例のザンクト・フローリアンのブル7が演奏された楽旅だが、
他にもシューマンの第4交響曲をメインにしたプロもあり、一部には「大成功」との風評を流す日本の批評家も居るには居たものの、
外国紙は必ずしもこの一連の演奏を褒め讃えた訳ではなく、「日本人は物まねすら出来ない」と報じた物もあり、物議をかもした。
ある批評家により「世界一」とまで持ち上げられたブル7も客観的に聴いてみると、当時の日本のオケとしては残念ながら雑な演奏だった。
安田さんは朝比奈さんが「首席第一コンマス」にすると確約した事も重荷に感じておられた。
そしてバイク事故に繋がり、安田コンマスの「時代」は終焉を迎え、優秀な若手奏者であった稲庭さんの時代へと移っていった。
稲庭さんがコンマスに任じられたのは 1980 年の米国公演を成功に導くためでもあったが、
周知の様に、米国公演は大成功となり、大フィルも新しい時代を迎えたのである。