オペラ・バスティーユの杮落しの予定は1989年7月
バレンボイムはその年の上半期までパリ管の任期が残っていた
国立オペラの方も芸術監督のジャン=ルイ・マルティノーティと
音楽監督のローター・ツァグロセクの任期が残っていて
バレンボイムが横から口出しするわけにはいかなかった
だからバスティーユのオープニングに伴う新生パリ国立オペラへの期待に応えるために
就任直後から用意ドンでやらなければいけないことが山積していた