いや、ダンスは肉体を見せてナンボなので、脱ぎたがる傾向はもともとある。
特にコンテ系だと、この振りでどうして衣裳が必要なんだ、と思うことも時々ある。
パリ・オペラ座のバレエダンサーたちが篠山紀信のカメラでヌードになったのも同じ理由。
春祭みたいに動物的エナジーを強調する演目だと、女性でも肉襦袢みたいな
遠目には布地の存在がわかりにくいようなものを衣裳にしたりする。
プレルジョカージュの場合、どうせやるならってことで全裸にしたんじゃないだろうか。
まあ春祭で裸になるのは自然だし、理解できる。
この人の別の作品で「N」ってのも新国立でやったけど、こちらは冒頭だけ男が全裸で出てくる。
ただし、いくらダンサーとは言え男だと性器が露出しているので、女性の裸体のように
綺麗ではない。このため照明を極端に暗くして、遠目だとわからないようにしてある。
(でも確かに脱いでる)
こちらは人の心のダークサイドみたいなものがテーマだったが、なぜ冒頭だけ男が脱ぐのか
いまだによくわからない。
さいたま芸劇でやったけど、ヤン・ファーブルの「主役の男が女であるとき」は
芸術とポルノの境界を曖昧にしてお客を揺さぶるのが目的で、舞台一面にオリーブオイルが
垂らされる中、全裸の女性ダンサーがこれでもかとオイルを浴びながら踊りまくる。
特に後半はオイルの床を滑りながら激しく上体を動かすように踊っては休息することの
繰り返しで、特にストーリーはない。全裸で脚を上に向けて全開脚して、一瞬とは言え
女性器そのものがあらわになるシーンもある。
長くなってすまん。