自己憐憫は「悲しみ」として現れ、
「自分が不当に酷い目に遭っている」という被害妄想と「なんでも人のせい」は「怒り」として現れるはず。
「怒り」も心のパーヴォに現れる。
例えば、
「〇〇〇〇〇〇のことは残念だったね!でも、なんで落ちちゃったんだろう。チコが大学時代勉強したことに対して、ノー!と突きつけたんだよね。いいのかね、そんなことで」とパーヴォの心の声が憤慨してくれたので、私も「うん。ちょっとショックだったけれど、たぶん障害者に見えないからだよ、私が。
となる。自分はあくまで冷静に「酸っぱい葡萄」と諦める姿勢を見せて?本当の感情発露は心のパーヴォに任せてしまっている。