>>235
16世紀(明代中期〜末期)、中国の沿海部では「倭寇」による略奪が激化しました。しかし、この倭寇の正体は日本人ではなく、海禁政策によって生活手段を奪われた中国(明)の沿海部の住民や密貿易商人たちでした。
• 【抓】厳しい海禁の実施(一抓就死):
明の朝廷は、外の世界(日本やポルトガルなど)との結びつきや密貿易を恐れ、「寸板も海に入らせず(小舟一枚すら海に出さない)」という極端な貿易禁止措置(海禁)をとりました。これにより沿海部の経済は完全に窒息(死)しました。
• 【乱】生きるための武装化(一放就乱):
食えなくなった沿海部の富裕層(パトロン)と貧困層(労働者)は結託し、生き残るために武器を持って大規模な密貿易集団(倭寇)へと変貌しました。朝廷が統制を強めれば強めるほど、逆に沿岸部は大混乱(乱)に陥ったのです。
• 結末(妥協と崩壊):
明はついに力ずくの統制を諦め、1567年に海禁を部分的に緩和(放)せざるを得なくなりました。これにより経済は一時的に息を吹き返しましたが、すでに中央の権威は失墜しており、末期の経済混乱とさらなる密貿易(そして銀の流入に伴うインフレ)が王朝の寿命を縮めました。