昨日は告知していたモダニズム/モダニティ研究会。20名くらい集まったでしょうか。予想以上の盛況。

 秦邦生「"Affective Turn"をマッピングする」は近年の批評における「情動論的転回」を文字通りマッピングした後、
J. M. CoetzeeのDisgraceを「情動」をキーワードに読む。なぜ今Affective Turnか、という点については、コメントしたように、
(1)人間の学としての人文学の窮状(2)「ポスト」ポスト構造主義の、「言語の内でも外でもないもの」への志向、というところがあろうかと思う。
その意味でレイモンド・ウィリアムズが再評価されたり、ベンヤミンの名前が出てくるのは当然の流れだろう。
(細見和之本のアクチュアリティを再確認。)そこで、質問したけど答えてもらえなかった"futurity"の問題は非常に重要であろうと直感する。
最後のベンヤミンの引用にある、「未知の家族」という他者に対する倫理であり、さらに言えばブレヒトの「後に生まれる者たちへ」の倫理である。
そのような倫理は個人的なものではありえず、集団的(秦さんの用語では公共的)なものたらざるをえない。
http://d.hatena.ne.jp/shintak/20090420