トロッコ問題などで有名なフィリッパ・フットは絶対的倫理を批判して共同体毎の倫理、徳倫理学を擁護する。
人食い人種のところにとって宣教師が一生懸命宣教する。そして、人食い人種は良いという言葉を覚えるが使い方がちょっと違う。
人の首を狩れる優秀な戦士であることを良いと使う。
良いということは相対的なものだ。
それに対してマイケル.・スミスは人食い人種のそれは同じ言葉を使っても良いではないという。
でも、ちょっと考えれ見れば、今、人食い人種を否定する現代人は後の時代には肉を食っていた、生物を殺して食っていたと批判されるのはわかりきったこと。

ソフィストに立つか。プラトンの絶対的イデアに立つか。
ポストモダンか新しい実在論や新しい唯物論に立つか。
どちらもばかげているのは当たり前で、善は一つではない、その時代、その時代でそれぞれできること頑張れることがある。
ある時代までは滅私奉公でよかったことが次の時代にはパワハラやモラハラになる。
だからといって倫理はばらばらではない。まったく恣意的なものでもない。少しづつ訂正しながら前の時代を受けて発展していく。
個のわがまま、恣意性ではない少しずつの進歩、全体で目指すべき方向はある。
その事実を認めないのは愚かだ。ばかげている。
絶対的な真理はないが目指すべき方向はある。

ポスト・ポスト構造主義とか、新しい実在論はゴミである。

このレスにむかついている奴はゴミの中のゴミだ。