新たな角度からの回答「デリダ的精神分析」とは 何か、そしてその先へ―― 
評者:佐藤 嘉幸(筑波大学准教授)

書評『ジャック・デリダと精神分析 耳・秘密・灰そして主権』 守中 高明 (岩波書店)
http://dokushojin.com/article.html?i=1033

それでは、「デリダ的精神分析」とは何か。最も簡潔に述べるなら、それは散種的思考の謂いに他ならない。
ラカン理論とは、特権的シニフィアン(超越論的シニフィアン)である欠如のシニフィアンを中心として構造化された欲望と、
そのような欲望によって組織化された主体、すなわち欠如の主体に関する理論である。
それに対してデリダは、欠如のシニフィアンも特権的シニフィアンも存在せず、
諸々の情動はただ散種と差延の運動に従って絶えざる移行と相互干渉を繰り返すに過ぎないと考える。
そこから、欠如の超越論的シニフィアンによって構造化された象徴界あるいは同一性の主体は解体され、
散種的運動を原理とする多数多様性の主体が形成されるだろう。
守中は、そのようなデリダの散種的思考を幾つかの異なった名前で呼んでいる。
すなわち、ラカン的な同一性の主体に還元されることを絶対的に拒み続ける「秘密」、
ヘーゲル=ラカン的弁証法の同一化の運動には決して還元されない非現前的「痕跡」としての「灰」、
そして国家的/国民的同一性に依拠した主権的支配の構造を壊乱し、解体する「歓待」……。