ハイデガーは事実存在の側だ、などと適当なことをペロペロするような脳味噌にはここに書き込んで欲しくない。
まともに本を読むことができないならば、消えろ。本を読むというのは、人の言うことをちゃんと聞き取るということだ。
それができないならば、公共の掲示板なんかに出てくるんじゃない。 んなことは当たり前のことだろが。


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『現象学の根本諸問題』から

「現存在は、<何であるか Washeit>によってではなく、−こうした造語が許されるならば、
<誰であるか Werheit>によって構成されているのです。この問いに対する答えが与えられるのは、
事象ではなく、むしろ私、君、われわれ、君たちです。
しかし、我々はやはり他方ではまた、現存在のこの<誰か(Wer)>とこの<誰であるかということ>は
何であるか、と問いますし、たとえば先に挙げた狭義の<何か Was>すなわち事物的現前存在者の
事象性からは区別されるこの<誰か>とは何であるか、と問います。
我々は疑いなくこう問うことでしょう。しかし、ここで告げられているのは、<誰か>の本質をも問うときの
この<何か>は明らかに、<何であるかということ>という意味での<何か>とは一致し得ないということに
すぎません。

 言い換えれば、本質存在 essentia すなわち<何であるかということ>という根本概念はいまや、
現存在と呼ばれるべき存在者に直面して、ますます問題をはらんだものになり、このテーゼ[すなわち、
どんな存在者にも本質存在と事実存在が属しているというテーゼ]を普遍存在論的なものだとする
基礎づけが不十分であることが明らかになる、ということです。」(邦訳198)