>>581
ハイデガーの「存在論」というのはトートロジーの構造になっている
何でもかんでも同じ存在のひとつとして人間も現存在として定義している
それにハイデガーには「言葉の問題」という20世紀哲学の中心問題のひとつには絡んではいない
彼は存在という「塊」について考えることで自分自身が抱えていた人生の問題を解決しようとした
しかしソシュールというのは「記号学(記号論ではなくて)」という人間の認識の根幹にかかわることまで考えようとしていたわけ
「言語には差異しかない」とソシュールはいったけれども
存在認識やその区別としての意味なんていうあたりのことはハイデガーにはどうでもいいことだったでしょう
人間が小説を書いたり絵を描いたり科学の体系を作ったりしたというようなことは他の動物にはないこと
それは人間だけが「言葉」というもの獲得していてその「言語能力・言語活動」によって
こうした学問や芸術はそもそも作られているというような考え方をしていた
メルロ=ポンティもソシュールを読む前に亡くなっているけれども
大筋はレヴィ=ストロースから聞いていたんだろうね
だから身体論から言葉の問題に舵をきったとことで若くして亡くなった
ちなみに戦後にラカンやメルロ=ポンティなどはハイデガーをフランスに呼ぼうと考えたのだけれども
それは実現している
ラカンにはハイデガーの『存在と時間』での考え方がかなり影響しているけれども
あくまでも序論レベルの範囲での影響だった
それ以外は同じことを何度も不器用な文体で繰り言をしているだけだったし
そもそもの『存在と時間』でのハイデガーの目的は「私はどうやって人生と折り合いをつければいいのか」
という人生論だったわけだからね
ソシュールの「記号学」というのは「言葉を獲得しているかどうか」で人類の文明は全く違ったものになっていた
というよりも
言葉なしではそもそも人間は何も「思考」できないということが常にあったのだと思うよ