>>683
 旧約聖書における神の影響は「深淵・脱根底としての存在」として1930年代からの
ハイデッガーの思索にみられる、と茂 牧人という人が書いてるね。

存在と神を結ぶもの
―ハイデガーの Abgrund の思索1―
茂 牧人(青山学院大学)
http://heideggerforum.main.jp/ej4data/shigeru.pdf

 しかし茂氏はそこで貴方のようには「だから『存在と時間』の存在概念なんか酷いもんじゃない
? 」なぞと早結論などはしない。そこが貴方との違いだな。

 それと「『存在と時間』の存在概念」には、〈時が贈る-ある〉という問いが
含まれる。〈ある〉に含有される時の問題を掘り出したのがハイデッガーにおける存在の問題
だが、旧約聖書の神の「わたしはある」にはそこまでの問いはない。なので旧約聖書との
照合は『存在と時間』解読にはさほど役には立たない。

 旧約聖書との照合ですべて言えるなどということはないし、それで言った気になるなら
それもまた誤読だよ。