1930年代前半、フライブルグ大学学長就任当時は圧倒的なナチスの勢いに乗って国家主義的
な発言が多いが、だがそれにも拘わらず当時、「国民同士が生存競争の敵になることがあって
はならない」と社会主義を訴えている。また、ハイデガーはナチス内部では、訳の分からない
ことを言いふらす男として、ハイデガーが思っているほどは評価はされてはいなかった。外見では
終戦までナチス協力者だったが、すでに1935-1938の覚書『哲学への寄与論稿』で自己批判を
開始してもいる。ナチスが全ヨーロッパを席巻した時代にはすでに根本的な批判を開始していた
ということだ。