>>58
引用?専門的な文献を引用するレベルの話ではないなw
正義を論じる場合に、ほとんど当然に共有されてしかるべき内容かとw
というか、「証明」ってw、漢語を用いてカッコつける(カッコいいかどうかは別として)
のであれば、的確かどうかは別として「推論」程度におさめるべきだろうねw
そういう用語の使い方一つにしても、ダメなのが見て取れるわけなんだがw
だから、私は「うかがい知れる」とか「見て取れる」といった程度におさめてるでしょw
しょうもねぇんだよ。偉そうに揶揄するなら、もっとちゃんとしろよ。やる気なくなるわw

>>59
ごっこどころか、相手に論がないんだから、議論が成り立つ要素がないw

>>60
さてと、変な奴は放っておいて。
人は、自らの信じる正義にすら反する場合がある。
人が正義に反する行為(ないし結果をもたらす)に至る場合には、
確信犯のようなものを除いて、「正義に反する」ということを認識した上で、
これを超えなければならないわけだよ。この意味において、正義は、この者に対して
何某かを要求しているのであり、この意味において、押し付けと言えるものがある。
まず、正義と言う概念にこのような性質があってしかるべき部分があるということを認識すべきだよ。

その上で、「全ての人が同じ考えを持って」と言うところに関しては、現代では、ロールズに代表される
契約説的な正義論の萌芽を見て取れる。
さらに、「幸せになること」というところに関しては、パレート効率ということなのではないかと思える(功利主義ではなさそう)。
確かに、後段の部分に関しては、あなたの言う通り、あらゆる観点において、パレート効率に至るのであれば、これを正義に反する
という人はいないように思える。ただし、現代ですら、世界はそこまでハッピーな状況ではない。
まして、「正義」は、紀元前から論じられているような問題であって、当時の状況は、さらに悪いと言える。
だとしても、確かに、あらゆる観点からパレート効率に至るのであれば、それを正義としても間違いであるとは言い難いと私は思うよ。
ただし、それが正義であると感じない人間はいるだろうけどね。
この辺りから、解きほぐしていこうか?