フロイトはゲシュタポの執拗な監視下にあったが、1938年5月、ナチスの迫害を逃れて
妻のマルタと共にロンドンに亡命する。ウィーンに残った4人の妹たちは全員ガス室で
殺された。亡命先でも死の2カ月前まで診療と執筆活動に熱中した。

翌39年2月、新たに主治医となったマックス・シュール医師から癌はもはや手術不能
だと知らされた。目に見えて衰弱したフロイトは「これ以上苦痛に耐えるのはなんの
意味もない」と医師に安楽死を頼んだ。シュールはフロイトの意思を尊重して安楽死
を実行することにした。マルタ夫人も毅然とした態度で同意した。

同年9月21日、フロイトの腕に20mgのモルヒネが注射され、苦痛の表情が消えた。
だがシュール医師もまたユダヤ人だった。彼はドイツ軍が侵攻してくるのではと
不安に駆られ、フロイトが昏睡状態に陥った後、代診のヨゼフィーネ・シュトロス医師
に後を託してロンドンを去った。シュトロスは、意識を取り戻したときに備えて2本目
のモルヒネ注射を用意していたが、フロイトは昏睡状態のまま9月23日午前3時、
永遠の眠りについた。享年83。

フロイトの精神分析療法は文学・芸術には多大の影響を与えたが、精神医学の臨床には
役立たなかったというのが現代医療人の大方の意見である。