たとえば生まれながらに盲目の人がいる。
その人はそれほど違って世界を認識しているか。
目が見える人が思うほど違っていないと思う。
なぜなら認識は言語を通して行われるから。

見るとはなにか?
光学的ななにかと言うよりも、日本語の用法の束として、見るという行為は規定される。