>>65
このことは、"Zuhandenheit"の否定である"Unzuhandenheit"についての
ハイデガーの考察から明らかだろう。ハイデガーは、次のように書いている。

>Dieses Unzuhandene stört und macht die Aufsässigkeit des zunächst
>und zuvor zu Besorgenden sichtbar.

"zuhanden sein"が「手元にある」ことや「道具的である」ことであるとするなら、
その否定である"unzuhanden sein"は、「手元にない」ことや、「非道具的である」
ことにならざるを得ない。しかし、「手元にないもの」や「非道具的であるもの」
であるはずの「Dieses Unzuhandene」がなぜ「die Aufsässigkeit」を目につく
ようにするのか、日本語で考えた場合にまったく不明だろう。ところが、
"zuhanden sein"を「手頃である」ことと考えるなら、その否定である「手頃
でない」ことが、「die Aufsässigkeit」をもたらすのは、むしろ当たり前の
ことである。私には、哲学書を訳そうとする者が、なぜ、この程度の最低限の
哲学的な試行すら怠るのか理解できない。