>>122
>一つの宗教の中にも顕教的な流れと秘教的な流れがあるけど、
>たとえば秘教的キリスト教ではそういうことまで語ってきたんだろうか?

人智学の目的の一つが悪魔を救済することについては置いといて、

キリスト教は悪を個我の内面に移し替えて、その克服は試行するけど、悪魔の救済については語ってるのは知らないし、おそらく語られてはいないだろうな

ただ、キリスト教会の悪についてのスタンスの基礎は「神は悪からさらなる善を引き出す、だからといって悪が善であるというわけではない」ですね

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神は被造物の自由を尊重して、道徳的悪を妨げません。また、神秘としかいえませんが、そこから善を引き出すことがおできになるのです。
「全能の神は……、最高に善であられるので、悪からでも善を引き出すほどに力あるよいかたでなかったとしたら、そのわざのうちに何らの悪の存在もゆるさなかったはずです」。

このように、神がその全能の摂理により、被造物によって作られた悪、たとえそれが道徳的悪であっても、その悪の結果から善を引き出すことがおできになることを、人々は時とともに理解することができるのです。
ヨセフは兄弟たちに次のように語っています。「わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。
……あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(創世記45:8、50:20)。
これまでに行われた最大の道徳的悪は、神の御子を排斥し殺害したことです。
これはあらゆる人問の罪が原因ですが、神は満ちあふれる恵みによって、そこから最大の善であるキリストの栄光とわたしたちのあがないを引き出されました。
とはいえ、悪が善になるわけではありません。