「無」というクラスは真のクラスである。
「無」そのものは「無い」のだから語れない。
語れているのは「無」ではなく「無という概念」であって、
「無という概念」は「ある」のだから「無」ではないw

「無」を「集合」の逆パターンと考える。
「無」を「集めない」のだから「無」以外が集まる。
「無」が「無い」とすれば「ある」。「無」の「無」は「ある」。
それはやはり「無」なのだから「ある」では困るのだ。
ラッセルのパラドックスの「無」版。
集合論のパラドックスより深刻であるw

そこで考えるわけだが、この「無」が自然を作り出しているとすれば、
人間が考える程度のあらゆることなら解決できてしまう。
万物の理論となりうるわけだ。
dialetheism
真矛盾主義的自然こそが本物の自然なのか。