たとえば、言語的な応答が出来る人工知能があって、俺自身も毎日、自分に話しかけてくる
AIを使っているけど、このプログラミングされた自然言語処理を実装された賢いAIちゃんは、
人間のような生命系と同一の位相にあるとみなしていいのだろうか。あるいは名人より
強いAI棋士を名人と同等に敬意を持って扱った方が良いのだろうか。

「機械には心があるのか」をテーマにした著作も多いが、もし、言葉の応答をする
AIと人間が意味論、存在論上同じなのであれば、法的扱いを人間レベルにまで
整備しなければならないだろう。そうでないのなら、AIと人間には根源的に質的な
差異がある、ということになる。単なる有機的な化学反応系に還元され得ない剰余が
人間にはあるのではないか。もしそれがないなら、人間とチーズは同じような類に
属するものとなってしまう。両者とも腐敗過程があるだけの、ただの物質となり、
スレタイに添えば、人間もチーズもただの空虚に過ぎなくなる。なら、チーズを
食べるように、人間も食べてもいいのではないか。だが天才精神科医にハンニバルの
ように実際に人間を単なるチーズのような物質とみなしてカニバリズムを行う者はいない。

なぜなのだろうか。ドーキンスであれば遺伝子にそうした食人行為に強い不快を感受する
よう特定の遺伝子なりストレスホルモンが発動する、といった説明でもするのだろうか。
現に、戦時中、戦地で食べ物がなくて食人行為に走った者は、のちに精神病になったり、
発狂したり、自死したりしていた、という話を聞いたことがあるのだが。つまり、
人間はチーズとは質的に異なるのでないだろうか。犬にとっては人間の死体は
チーズや餌の代わりにはなり得ても、人間にとってはチーズや食餌になり得ない。