古代中国人は究極の真理を“物質が存在していないこと”だと考えていた

>上古の人には、その知恵が、それぞれに到達するところがあった。
>その到達したところはとは、どのようなものであったか。
>最も高いものは「はじめからいっさいの物は存在しない」とするのであって、
>これは究極まで至りつき、すべてを尽くしたもので、もはやつけ加えるべき何ものもない。
(森三樹三郎訳『世界の名著 4 老子 荘子 (中公バックス)』 P183)

>上古の人は、知がある究境に到達していた。その到達していた境地とは、根源において、
>物は存在しないと考える境地である。それは究境に達しており、あらん限りを尽くしていて、
>最早何も追加することのできない、最高ランクの知である。
(池田知久訳『荘子 上 全訳注 (講談社学術文庫)』 P161)

>昔の人は、その英智に最高のゆきついた境地があった。そのゆきついたところとはどこか。
>もともと物などはないと考える〔無の〕立場である。
>至高であり完全であって、それ以上のことはない。
(金谷治訳『荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)』 P64)