>>176
墨東公安委員会
ヴィーガンにせよフェミニズムにせよ、「世間的」には「普通」とされている、
肉食であるとか男性中心的な考え方を、見直すべきであると主張しているわけです。
これは、「自分は『普通』にやっているのだから、何も間違っていない、正しい」というありがちな心情と衝突します。

まさにヴィーガンなりフェミなりは、
その「普通」とされている社会の構造自体の問題を問い直そすところに意義があるわけです。
その「問い直し」自体が、自分は「普通」である、ということに頼っている人々に
「『普通』だから『正しい』この私に再考を迫るとは生意気な!」という感情を生みます。

でも「普通」であるということは、何ら「正しい」ことを意味しません
――最近復刊されたブラウニング『普通の人びと』のタイトルは、まことに示唆的です。
虐殺をしてしまったのは、まさに「普通」の人びとだったのです。

ちょっと話が逸れましたが、かくして、「普通」であることに「正しさ」の根拠を求める人々は、
その構造自体を問われると逆上します。そして、構造に加担しその受益者であるにもかかわらず(だからこそ)、
構造の問題を問うた側を、自分たちへの攻撃と見なし、自分たちこそ被害者だと倒錯に陥るのです。
2019年6月8日
https://twitter.com/bokukoui/status/1137368892421001216

東浩紀
きわめて一般的に、
他人と違う生き方をすることでいじめるなとか差別するなとか不利益を強制するなとかは要求できるけど、
「ふつう」と思ってくださいと要求することはできない。
大多数とちがう生き方を選べば、変人と思われるし避けられもするだろうけど、
それはやむをえないのではないだろうか。
2019年6月9日
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)