【書評】左藤青:一億総批評家社会(東浩紀『郵便的不安たちβ』)

前衛批評集団「大失敗」
2019/06/15

おそらく東浩紀はこの点において失敗している。東が「メンヘラ的」なほどにプロジェクトを取っ替え引っ替えし、
最後までやりきることができないのは、そもそも東浩紀の企図をまともに汲みとれる人間が少ない、というか、
正確には、東浩紀の企図の射程を測り、
場合によってはそれを拡張するような読者が存在しないということなのではないか
(東浩紀の周辺の人物と話すと、やたら東に対する愚痴が多い。
実際人格的にそれほど立派な人ではないのだろうが、批評家の人格に一体何を期待しているのかとも思う)。
つまり東は周囲の人物にせよ読者にせよ、教育すること、育成すること、
あるいは言い換えるなら、啓蒙することが全くできないのだ。

さて、結論として、もはや観客と批評家という二項対立が古いものである、
と言わなければならないかもしれない。当然だが僕は批評家ではなく
——しげのかいりが言う通り、絶対に、どんなことがあっても「批評家になんかなりたくない」——
たまたま文章を書いている読者であり、だからこそ批評を書いているだけにすぎない。
「批評」が「成否を判断する『観客』の共同体」によって支えられているのなら、
観客たちは「批評」を批評することになるわけだし(だから「批評」に外部など存在しない)、
その意味で、観光客を当事者に、つまり批評家にするのが「批評」なのである。

東の定式を受け入れた上で、その「観客」=「読者」に直接的かつ積極的に働きかけ、
場合によっては批評を書かせてしまうことはできるだろうか。
「批評」は、つねに大学的「知」の外部(例えば「大衆」、例えば「読者」)を持ち出してきた。
この図式を変えることなく(つまり「ポップ」であって)、
しかし同時にその読者を批判し、異化し、啓蒙することはできるだろうか。