そもそもキリスト教の宗教の素晴らしい教えとは聖書だった

経済的、技術的な問題で聖書が一般まで流通することが不可能だった中世の時代では、聖職者だけが、その神の言葉を語り、民に降ろすことができた

しかし、グーテンベルクの活版印刷技術が生まれ、聖書の大量生産が可能になったルネッサンス期には、プロテスタントが生まれ、教会の権威を否定し、聖書とそれに倣う信徒の関係ことが重要だ、という認識が生まれた
現代はさらに技術革新が進み、スマホのスクリーンに聖書の神の言葉が刷られ、誰でも閲覧できるようになった

プロテスタントの精神が生んだ論理で鑑みるに、聖書だけではなく、あらゆる聖人の信仰にアクセスできるようになった現代で、聖人ではない聖職者や教職者が運営するコミュニティに所属する意義とは何なのか?という問いが出る

この意義の価値が現代では求められており、それの答えをコミュニティが納得するレベルで提示出来ていないことがクリスチャンの数が伸び悩んでいる理由なんだろうと思う

歴史を大局で捉えると、雲の上にあったものが、時間を得るごとに民の手のひらまで降りてきている
既に手のひらにあるわけだから、それを教会に求める必要は無くなったと言える

そんな時代に教会に所属したい、と意思してもらうには「コミュニティ」の「仕組みと質」がどうあるべきか、が求められる