>>696
1人でも例を挙げてみろよ

哲学史の中でも亜流傍流の代表格である功利主義のベンサムでさえ、「功利の原理の正しさは実践の中で示される」(=正しさを証明することはできない)と述べている。

カントも第2批判では道徳法則を単に要請として据えるに留まり、証明を放棄した。

いずれの場合も、体系構築の前提となる原理は単に前提されるに過ぎず、その正しさを証明する対象ではないことがきちんと理解されているからだ。