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>ハイデガーはその後期の講義録『ニーチェ』のなかで、「存在者の根本性格は悲劇的性格で
>ある」と述べているが、どうであろうか? これは『存在と時間』のなかでは語られなかった洞察だ。
>(『ニーチェ』 第二講「同一物の永劫回帰」 第4章「悲劇ガ始マル」)

 そこを正確に引用するとこうである。

《悲劇が始まる。如何なる悲劇か。答え、それは有るものそれ自身の悲劇である。しかし
ニーチェは悲劇ということで何を意味しているのか。悲劇は悲劇的なものを歌う。この悲劇的な
ものをニーチェは彼の言うところの悲劇の始まりからしてはじめて規定していることを、我々は
認識しなければならない。回帰思想の思惟とともに悲劇的なものそれ自身が有るものの
根本性格となる。歴史的にみれば、「ヨーロッパにとっての悲劇の時代」(『力への意志』、第37
番、および第16巻、448頁)の始まりである。ここで始まり起こっていることは、大いなる静けさ
のなかで起き、長い間、そしてたいていの人には覆蔵されつづけている。その歴史については
何も歴史書には記載されることはない。》 ハイデッガー全集第6-1巻 ニーチェ �T 240頁 
「悲劇が始まる」

 すなわち《悲劇的なものそれ自身が有るものの根本性格となる。》とはニーチェによる時代規定
また有るものの規定、であり、何故そのように言わなければならなかったのか、がこの節での思索
となる。ニーチェの思想解読がここでの作業である。

 《何故、永劫回帰の思想は最高の肯定であるのか。なぜなら、この思想は究極の否定、
殲滅と苦悩を、有るものに属するものとして、肯定するからである。それ故、この思想とともに
初めて悲劇的精神が、根源的かつ全体的に有るもののなかに立ち現れるのである。「悲劇が
始まる」とニーチェは言う。しかし、「ツァラトゥストラが始まる」とも言っている(『偶像の黄昏』、
第8巻、83頁)。》 ハイデッガー全集6-1 ニーチェ �T 242頁