デリダの「戯れ jeu」、ハイデガーの「遊動 Spiel」の背景にあるニーチェ+ヘラクレイトスの「戯れる子供 pais paizon」。
解体/構築が対で見られる。


“いかなる道義的な責任もとわれることなく、永遠に変わることなき無垢のまま、生成と消滅、建設と破壊を営むものは、この世においてはただ芸術家と小児との遊戯のみである。
 そして小児や芸術家が戯れるように、永遠に生ける火が、無心に、戯れ、築き上げ、崩してゆく――そしてこの遊戯をみずからと戯れるのがアイオーン〔永劫の時〕である。
 彼は、水や土に身を変じながら、小児のように海浜に砂山を築き、築き上げるかと思えば崩してゆく。
 往々にして彼はこの遊戯を最初からやり直すことがある。満足したと見えるのもつかのま、欲求が芸術家を創作に駆り立てるように、欲求が彼を襲う。傲慢ではなく、繰り返し新たに目覚める遊戯衝動が、他のもろもろの世界を生み出すのである。
 小児は一度は玩具を放り出すが、やがてまた無邪気な気まぐれでそれを取り上げる。しかし築くとなれば、子供は、法則に従い内なる秩序に従って結び合わせ、繋ぎ合わせ、形づくってゆく。”

― ニーチェ 「ギリシア人の悲劇時代における哲学の誕生」 『ニーチェ全集 2 悲劇の誕生』 ちくま学芸文庫 (1993) 7節、p389