でも、もし「現実」が、作品による「表象」を許さないほどに複雑化する、あるいは過激化するなら、
それでも執拗に「表象」しようとする試みは、また別の様相を帯びてくる。
たとえば、9・11の同時多発テロ事件の時、ぼくたちは何度となく「現実が映画を超えた」という叫び声を聞かされた。
だけど、9・11以後も映画は死んでないし、映画は9・11を経験することによって試され、新しい表現へと手をのばしたはずだ。

ぼくなりの言い方をすれば、2016年は映像表現にとって「2度目の9・11」だったのかもしれない。
そう、ぼくたちの「現実」はまた「映画を超えた」のだ。
国内では『シン・ゴジラ』や『君の名は。』が話題になり、「社会反映論」的な批評もたくさん書かれた。
でも、海外ドラマの世界では、もっとずっと、スケールの大きい「表象」が次々と試みられ、
そしてその多くは盛大に失敗し、いくつかの作品は成功の手がかりをつかんでいるように見える。
その地勢図全体が、現代の表現の危機をめぐる壮絶なドラマになっている、とぼくは思う。
『逃げ恥』とかで喜んでる場合じゃないですよ、マジで。
たとえば、『ハウス・オブ・カード』はなぜヌルいのか? 『ファーゴ』はなぜシーズン2から大きく演出が変わったのか?
『アメリカン・クライム・ストーリー』はなぜ今さら「O・J・シンプソン事件」を描いたのか?
『ゲーム・オブ・スローンズ』は『君の名は。』の上位互換ではないのか?…… 
それらは全部、この狂気じみたぼくたちの「現実」と関係している。そういう話を、今こそしよう。
もしお望みなら、もっと遡って、『LOST』とセカイ系の関係とか、
『デイ・ブレイク』と「ゲーム的リアリズム」の関係とか、そんなところからはじめてもいい。

ぼくは海外ドラマの専門家でもなければ、映画評論家でもない、ただの「にわか海外ドラマファン」の美術批評家ですが、
ぼくなりに思うところはたくさんある。「最近、おもしろいアニメがないな」とか「最近、映画館あんまり行ってないな」とか、
そんな風に退屈している人たちにこそ、来てほしい。もちろん、海外ドラマガチ勢の方も、ぜひ揚げ足を取りに来てください。
細かいところはきっと、渡邉さんがフォローしてくれるはずなので!
(黒瀬陽平)