>>411
前回のレスとの繋がりで説明があるとよかったと思うけど、ストレートに「親子関係が倫理の源泉」という理解なのかな。閉じた人間関係において「当たり前」と思うことと、そこから「〜すべき」に至るには隔たりと飛躍がある。

実際には人間関係は閉じておらず、開放された社会関係にこそ倫理が定立され、社会的な義務としての「〜しなさい」は自由意志を持つ社会的成員が「不服従」を選ばず自律的に「〜すべき」と思うものだ。

つまり、開かれた多変数の社会の中で規律するものが倫理ということになる。その形成=普遍化の検討が倫理学とすると、飯の問題では「〜しなさい」を条件としない高い倫理に他人は集まり普遍化するという理解だったのだろうか。

それが単なる私的な利益衡量である限り倫理になることはないと思われる。指標足り得るかと。