時空間や物などというものは前提にしない。
大きさのようなものとして存在確率1のみを考える。
対象と対象の間にあるものを「射」としたとき、
対象もまた、id射を持たねばならない。
id射を持つことが「存在」としての「対象」である。
射以外のものを考えないとすれば、id射は存在確率1を持つ
(超)球面である。
時空間を考えなければ、ここで考えるすべての射には向きもない。
2つの対象と、その間の射を図示すれば、
○ー○ のような形になるだろう。
間の「ー」もid射を持つが、これは両端の○によって与えられたid射である。
○●○ のように描くのであれば、3つのid射があっても、情報量としては2つ分のid射、
すなわち「存在」しかない。
この○や●は、それぞれの存在確率が1であり、全体でも存在確率1なので、
存在確率のみで考えるなら、
○●○=○ である。
もし、なんらかの区別すべきpropertyがないのであれば、
これだけで、「おかしな」オセロがつくれるだろう。
この状態を、無次元球面と考える。オセロ型無秩序の海。
これが、ゼロ意識の段階ではあるが、宇宙意識であるw
左辺の○●○を0次元球面、右辺の○を1次元球面とすれば、
宇宙意識は、0次元球面と1次元球面の間での超対称的な振動である。
「超対称的振動」とでも呼んでおこう。
これが「波」になり、時空間や物をうみだすためには、振動が回帰したときに
なんらかの位相差が生じなくてはならない。
そのために、なにが必要かといえば「秩序」だ。
無秩序の海においての自発的な「秩序」が、虚像としての時空間や物をつくる。