千坂 恭二
2019年7月1日

四元義隆といえば井上日召の血盟団の一員であり、戦後は政界の黒幕にして歴代総理
の影の指南役としても知られていた。その四元の同郷の同士に重信末夫がいた。
日本赤軍のリーダーの重信房子の父親だ。彼は日本赤軍リーダーとしての娘の活動を
信じ、重信末夫の同士だった四元義隆は、重信房子を捕えた権力や警察に対して、
きちんと戦士として処遇せよと言ったらしい。

重信末夫は、重信房子や日本赤軍は、思想は左翼だが、精神は右翼と見ていた。
それを聞いた左翼の者は驚愕したらしいし、右翼は怪訝に思うかもしれない。しかし、
案外、重信末夫の直観は的外れでないかもしれない。戦後に育ち、極左とされた日本赤軍
は自決をしている。これだけでもつまらぬ右翼より右翼的だ。

革命運動の最前線には、何処の国でも左右の捻れがある。日本赤軍に右翼の要素がある
ならば北一輝には左翼の要素がある。三島由紀夫が東大全共闘に、一言、天皇と言って
くれればと言ったことは知られている。左右の捻れは枚挙に暇がない。そしてこの捻れが
分からない者には革命の現場のリアリティが分からないだろう。

また、それとは別に日本において革命について考える場合、北一輝と日本赤軍は、
看過出来ない問題やテーマを持っていよう。

そしていうまでもなく、これが分からないのは権力追従的な右の保守や口先だけの右翼と
反革命的な左の社民左翼やリベラルあたりか。