本稿は、旧をバラ色の光で描いているわけではない。そこがいかに危険な空間であったか
を、叙述しよう。いくつもの罠が存している。
第一の罠は、学問の罠である。これは、新人、ベテランにともに襲いかかる。新人は、最
初くらいと思い学問を嗜もうとし、ベテランは、ホームランを打つべく、学問に向かう。
しかし、学問が問われているわけではないことは、問題を読めば、分かるはずである。学
問は、答案作成上役に立たないし、そんなことをしていると、時間がいくらあっても足り
ない。なお、ローは、未修に学問を強いている。その結果は、見てのとおり。
ならば、予備校に罠はないのか。そうではない。予備校の罠も存在するのだ。分かりやす
すぎるので、分かった気になる、というものだ。しかし、分かった気になることと分かる
こととは違う。そして、学問を免除されているからといって、理解まで免除されているわ
けではない。本番は、基本から少しずれたところを問うてくるのであるが(いわゆる事案
の特殊性だが、これを学問と勘違いしてはならない)、これを基本に引き戻すことができて
始めて、問いが解ける。基本に引き戻すのに、基本の理解の他に何かが求められているわ
けではない。しかし、基本を理解するのは、容易ではない。基本に引き戻す力を得るべく、
基本を理解しようとするのではなく、学問に走ってしまうと、それだけで合格が遠のいて
ゆく。
このように考えれば、基本だけが大切である。基本を繰り返さなければならない。しかし、
基本を繰り返すのは辛い。それには、やる気が必要である。こうして、やる気は根本問題
と化す。伊藤真らが自己啓発を説くのは、故なきことではない。本稿は、6のすべてをやる
気に当てている(「能力」や「気力」や「方法論」を論じるという名目ではあるが)。そし
て、7(「絶対だいじょうぶだよ。」)という司法試験の彼岸に至る。