あらゆる現象は平衡をその背景とする。ひところ「動的平衡」という言葉が
流行ったが、すべての平衡は、その言葉の通常の意味において本来的に動的である。

人は、自分の体に何も異変を感じていなければ、自分の健康は平衡状態にある
ものと見なし、周囲の気象条件や動植物の生態がいつもと変わらなければ、
環境は平衡状態にあるものと見なしている。しかし、ここで留意しなければ
ならないのは、平衡は、あらかじめ規定されたものとしてあるわけではない
ということである。平衡とは、復元可能に振れが生じることであって、その
振れがどのように生じたところで、その振れ幅がどれだけのものであれ、
それがどのように変化しようと、その振れが繰り返し可能となるような
復元が現れるなら、平衡が生じていることになる。そして、その振れ幅こそ
が「実力/キャパシティ("capacity")」と呼ばれるものであり、その
振れ幅を十分にを使うことができることが「能力("capability")」を発揮
することに他ならない。現実には、「実力/キャパシティ("capacity")」は
常に変化し、変容しているので、平衡を保つためには、発揮しようとする
「能力("capability")」の方を絶えず調整する必要がある。
それまでの「実力/キャパシティ("capacity")」を超えて「能力("capability")」
を発揮しようとして、それでも復元が現れるなら、「実力/キャパシティ("capacity")」
が伸びたことになり、それまでの「実力/キャパシティ("capacity")」どおり
に「能力("capability")」を発揮しようとしたのに、復元が現れないなら、
「実力/キャパシティ("capacity")」が落ちたことになり、不可逆的に落ちたなら、
衰えたことになる。したがって、「能力("capability")」の発揮の調整を
不要にするように、あらかじめ「実力/キャパシティ("capacity")」を規定しよう
とすることは、平衡を実現しようとすることですらなく、発揮しようとする
「能力("capability")」の固定であり、そのような固定は、「死を待つだけの
状態」と等しいものとなるだろう。