https://kotobank.jp/word/創発-552975

>「創発」とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない特性が、全体として
現れること。物理学や生物学などで使われる用語「emergence」(発現)が
語源で、自律的な要素が集積し組織化することにより、個々のふるまいを
凌駕する高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象あるいは状態をいいます。<

「創発」や「emergence」(発現)という表現が、このように用いられている
のであるとすれば、「創発」というのは、日常的な日本語の表現にするなら、
「化(ば)ける」ということになるでしょう。

哲学は、伝統的に「同一性」についてずっと議論をつづけてきましたが、
「同一性」を「化(ば)ける」こととの関連で深く考えることを怠ってきた
のではないかと思います。「ば(化)ける」というのは、例えば、
「最後の晩餐」において、
>イエスはパンを取り、「これがわたしのからだである」といい、
杯をとり「これがわたしの血である」といって弟子たちに与えた<
というような「奇跡的」なイメージと結び付いていたわけですから、
哲学は、神学から離れようとする取組みにおいて、合理主義的な科学の
側につくという立場を明確にするために、「ば(化)ける」という
合理的にうまく説明がつかないように見えることは、問題として
取り上げること自体を避けたのでしょう。これは、例えば、
錬金術が、単に、金ではない別の物質から金を作り出すことができる
かという問題ではなく、専ら魔術的な秘儀のようなイメージと結びつく
ことになったことにも見られ、哲学と科学の関係にしても、哲学と
物理学の関係について議論しようとする哲学者は大勢いるのに、哲学
と化学の関係については、ほとんど誰も取り組んでいるようには
見えないことにも反映されているのではないかと思います。