>>477
私としてはまさにあらゆる現実は仮想と言いたいわけですが
これは写真と被写体の関係で説明するのがわかりやすいかもです。
たとえばカメラに赤いフィルターをとりつけると青い富士山も赤く写ります。
写真と被写体は別物になるわけです。
しかしじつはたいていのレンズは様々な事情でまんまを写すことができず
たぶん技術的にはそこの部分での戦いが歴史上で実際にあったはずです。
そして今もって完璧ではないだろうとも察します。
写真は写真と言いながらじつは真実を写すことができないのです。
同様に人間の目もまた真実を写すものではありません。
のみならずその構造には個人差があって
厳密に検証できるならばまったく同じ映像を見ている人はいないはずです。
十人十色ならぬ八十億人八十億色です。
つまりたいていの人はいわば仮想世界を見ていることになります
(むしろ本当の世界を見ている人がいるのかどうかは疑問です)。
そして私としてはその意味で私たちが認識している素粒子はいわばマボロシ
というふうに考えるわけです。

しかしもちろん世界は恒常的なものとして存在しています。
誰が見ても、ただしその人なりとはいえ、とにかく富士山は富士山です。
ただ富士山を富士山として認識する構造は「実体」に由来するのか
あるいはモニターに写っている映像のように「情報」に由来するのか、
そういう問題はあって、そしてそこで私としては情報があれば充分であり、
むしろいわゆる物質という実体はコスパが悪い気がしたりするのです。