>>640
今度は牛乳を買ってきて冷蔵庫に入れたのが私だとします。
今、時計さんが冷蔵庫を開けると身に覚えのない牛乳があって
とにかくそれが誰のものなのかはわからないという状況とします。
さらにその冷蔵庫を利用しているのは理論上で私と時計さんと超球面さんとの
三人だけだとします。
そこで時計さんがまず超球面さんに「この牛乳は超球面さんのですか?」と尋ねると
そうは言っても真面目に否定的な答えが返ってきます。
すると普通はこの時点で自動的に犯人が私であることが確定します。
つまり「推理」というのはあってもいいのではないかというおはなしです。

さて、先日将棋が話題に出ましたが、
私はこのように推理しますというおはなしです。
棋士はどのようにして先を読むのか、
どうやら頭の中に将棋盤をイメージしていて
その盤上の駒でシミュレーションしているらしいのです。
よって彼らにも「映像」がありそうです(そしてそれを理解する私がいます)。
一方でコンピューターは「考えている」とか「計算している」とか言っても
基本的には電流を通すか通さないかのものであって
実際に意識的な現象が内在しているようには思えません。
機械は人間と根本的に違うもののような気がするところです。
ただここで哲学者的にはリベットの実験というのがあって
簡単に棋士に意識が内在しているとは言えません。
棋士が最終的に決断した一手は意識とは別のところで行われていた可能性も
考慮しなくてはならなくなります。
はたして決断したのは誰なのか、
いちいちややこしいのが哲学の特徴です。


おっと誰かが来たようなので、とりあえずはここまでです。