悟りと解脱の類似点。
悟りは悟ったと思ったら、悟りから最も遠い場所にいる。
解脱も解脱したと思ったら、解脱から最も遠い場所にいる。

悟りにおいては、メビウスの帯みたいなもので、
悟ったと思ったとき、帯の真裏に悟りがあり、そこは現在地点から最も遠い場所である。
悟りが帯の真裏にある、ということと、そこが最も遠い場所であること、
そして、常に真裏にあるということに気づくことが、悟りの限界であり、悟りの入り口である。
解脱においては、解脱したと思ったり語ったりすれば、それは解脱していない証明となってしまうw
そもそも解脱しなければならない、などと考えることが煩悩であり、解脱する資格すらもない。
これらはとても数学的な構造です。
「意識」もまた、同じ様な構造にある、と考えます。
ニーチェでもなく、ウィトゲンシュタインでもない、新たな視点(立ち位置)が必要でしょう。